基礎ではなくてfundamental
英語を専門にしている生徒に、ピアノにおける「基礎ができていない」という言葉についての私なりの見解を説明したところ、大変興味深い話を教えてくれました。
彼によると、英語にはfundamentalという言葉があって、これには「重要なこと」という意味があり、「基礎ができていない」という言葉を使う場合、実際には「重要なことができていない」という意味で言っているのではないかということでした。
私はファンダメンタルというのは株式投資の用語とばかり思っていましたので、この話は目からウロコでした。
彼の話でさらに興味深いのは、「重要なこと」と「易しい」ということは違うということでした。
落ち着いて考えてみますと、確かに「重要なこと」と「易しい」ということは同義ではないと思います。
私は、これまで基礎と、初心者向けの「易しいもの」とを混同していたのではないかという気がしてきました。
さて、ここで私自身のことを振り返ってみますと、「基礎ができていない」という言葉のトリックや「ハノンで基礎が身に付くものか!」ということに気が付くまでの私は、「基礎ができていない」という言葉を「初級の段階ができていない」という意味に解釈し、いつも入門や初級レベルのテキストに戻ってそれを弾くということを繰り返していましたが、何の成果も上がりませんでした。(参考:ハノンで基本は身に付くのか?)
いつまでたっても「基礎ができていない」から脱出することができませんでした。
迷ったら原点に戻れという言葉がありますが、その原点が形成されるのは入門や初級の段階ですから、「基礎ができていない」となった場合に、ここに戻ってくるのは表向き間違っていないように見えます。
しかし、私はここに大きな落とし穴があったのではないか、と疑っています。
私のように、何度戻っても、何の成果ももたらさない原点というのは、原点そのものに何らかの問題があると考えられるのではないかと思います。
ここで、先ほどのfundamentalです。
私が戻っていた原点には、fundamentalが欠落していたのではないかと、私はそのように感じます。
私が戻っていた原点には、私がこのように弾きたいと思うような弾き方を実現するために必要なfundamentalが欠落していたと言った方が良いのかもしれません。
原点そのものに問題が含まれている場合、これに自分で気が付くのは非常に難しいのではないかと思います。
「知らないことは知りようがない、わからないことはわかりようがない」というような言葉をどこかで見かけた記憶がありますが、原点そのものの問題を発見するということに関しては、この言葉がそのまま当てはまるのではないかという気がします。
このように考えてみますと、「基礎ができていない」という言葉が登場してきた場合には、私のようにやみくもに初級のテキストに戻るのではなく、どのようなfundamentalが欠落しているのかということをを確認し、そのfundamentalを身に着けることを先に行う必要があるのではないかと思います。