ピアノ入門以前 第9号 暗譜について
2009/10/15
今回は、暗譜についてのお話です。
暗譜の方法は人それぞれなので、唯一絶対正しい暗譜の方法というものを発見するのは大変難しいことだと思います。
ここでお話することは、あくまでも、暗譜に困難を感じている方が、問題を解決するための参考の一つとしてお考えください。
私自身の経験から申し上げますと、暗記をする、記憶をするということの得手不得手の問題に関わらず、心理的な問題で、暗譜ができなくなるということがあるのではないか、ということを思います。
実は、ここ2・3年、私は暗譜がほとんどできなくなるという状態に陥ってました。
ここ2・3年の間に開いたコンサートのほとんどが、プログラムの3分の1から半分は、楽譜を見ながら演奏するという状態でした。
楽譜を見ながら弾くことすらままならず、曲目を変更するということも、しばしばでした。
それだけではなく、学生時代から、何度もステージで弾いてきた曲までもが、本番になるとわからなくなる、という有様でした。
ミスタッチと異なるのは、何をどうするのかということがわかっているにも関わらず、指がそこに行かないというのがミスタッチなのに対して、暗譜ができなくなるというのは、何をどうするのかということすらわからなくなってしまうという点です。
それゆえ、暗譜での演奏はもちろんのこと、楽譜が目の前にあっても、何をどうすれば良いのかわからないという状態になり、ピアノを弾くという行為そのものが困難になります。
昨年の後半になって、このような状況から脱出することができましたが、どうしてこのような状況に陥ったのかを考えてみますと、心理的な要因というのが多くを占めていたのではないか、ということに思い至りました。
その心理的な要因の根本にあったものとしては、自分のやっていることがこれで正しいのだろうか、実は間違っているのではないか、という気持ちや、ピアノ教師としての自分が普段レッスンで言っていることと、ピアニストとしてステージに上がっている時の自分との間のギャップのようなもの、などといったことが挙げられると思います。
このような不安が心の中に渦巻いた状態の時期を振り返ってみますと、ここをこのように弾くと「あの人はスタイルを知らない、あれで本当に音大を出たのか」と言われるのではないかとか、このような弾き方では下手だと言われてお客が逃げていくのではないかとか、そのようなことばかりが気になって、音楽をそのまま音楽として感じとるというか掴むというか、何かそのようなことが大変困難になっていたように思います。
前回のメールマガジンで、断片化された情報をもとにした『像』と音楽そのものとは異なるというお話をしましたが、まさに、頭の中は断片化された情報だらけになり、音楽そのものが全く見えなくなっていました。
音楽そのものが見えなくなってしまえば、暗譜はおろか、ピアノを弾くということさえも困難になるというのは、仕方の無いことではないかと思います。
このように、ひたすら『正しい』弾き方を追い求めた結果、暗譜だけではなくピアノを弾くという行為そのものが困難になった挙句にたどり着いたのは、唯一絶対の正しい弾き方などというものは存在しないというところでした。
そこにたどり着くに至って、改めて、ピアノを弾くということは、こんなにも楽しいことだったのかということに気が付き、ピアノを弾くという行為そのものを取り戻すことができたのではないか、ということを思います。
このように、暗譜というのは、心理的な要因によっても困難になるのではないかということを思います。
暗譜のための方法は多数ありますが、私のように心理的な要因によって困難になっている場合には、心理的な要因を解決しないことには、どのような方法をとったとしても徒労に終わる可能性があるのではないかということを思います。
さて、暗譜ができなくなるという苦渋をなめた私ですが、このような体験のおかげで、多少なりとも暗譜の苦労の一端を垣間見ることができたということは、ピアノ教師として得るところが大きかったように思います。
暗譜で最も重要なのは何を覚えるのかということではないかと思いますが、最終的には指と足の動作を覚えることに尽きるのではないか、ということを思います。
楽譜を覚える、音で覚えるなど、様々な方法があるのではないかと思いますが、楽譜や音を覚えたとしても、それらを実際の音楽に反映させるためにはどのようにすれば良いのかという点を覚えていなければ、瞬時にそれらの動作を行うことはできないように思います。
理想としては、響きも楽譜も動きも全てを明確に把握した状態で記憶することだと思いますが、とっかかりとしては、響きや楽譜よりも、動きの側から入っていく方が良いのではないかということを思います。
では、動作を覚えるにはどのようにすれば良いのかということになるのですが、これは、体で覚えるという言葉がありますように、鍵盤の前に座って、同じ動作を何度も繰り返すということになります。
夢の無い話で申し訳ないのですが、確実に暗譜をするにはこれしかないのではないのだろうか、というのが私の現時点での結論です。
何度も繰り返しているのに暗譜ができない場合、何を覚えるのかということが明確になっていない可能性があるのではないかということを思います。
ある部分は指で覚え、ある部分は音で覚え、ある部分は何だかよくわからないが何となく覚え、という具合に、覚えるものに一貫性がないと、何度繰り返しても暗譜ができないということが起こるのではないかということを思います。
何を覚えるのかという部分を明確にすることで、暗譜の精度はより高まるのではないかということを思います。
※「ピアノ入門以前」は、だいすピアノ教習所講師の かとうだいすけ が2009年6月から2011年5月まで、まぐまぐにて配信したメールマガジンです。2011年5月に廃刊しました。