ピアノ入門以前 第6号 ツェルニーについて

2009/09/01

今回は、広島県北にお住まいのTさん(経営者)から話題のリクエストということでメッセージを頂戴いたしました。

Tさん、どうもありがとうございます。

まず、Tさんより頂戴しましたメッセージの中の、質問部分をご紹介いたします。

>先生は、率直なところ、ピアノの独学をどうお考えですか?
>ツェルニーの30番、40番が弾けるようになると、かなり難しい曲が弾け
>るようになる、という言葉を胸に、日々、練習を重ねていますが、それは、
>プロの演奏家で、先生でもいらっしゃるだいす先生も、一理ある、と思われ
>ますか?

こちらのご質問には「ピアノの独学について、だいすはどう考えているのか」ということと「ツェルニーの30番、40番が弾けるようになると、かなり難しい曲が弾けるようになるというのは一理あるのか?」ということの2つの要素があるように、私は感じました。

今回は、「ツェルニーの30番、40番が弾けるようになると、かなり難しい曲が弾けるようになるというのは一理あるのか?」ということを中心にお話したいと思います。

まず、「ツェルニーの30番、40番が弾けるようになると、かなり難しい曲が弾けるようになる」という言葉そのものに対して、私は2点の疑問を感じます。

1点目は「ツェルニーの30番、40番が弾けるようになる」という点です。

これは、どの程度の状態を指して「弾ける」とするのかによって、全く異なります。

テンポが速くなったり遅くなったりするような状態、リズムや個々の音の強弱が不明瞭な状態でも、どうにかこうにか指示されている音以外の音を出さずに最後まで弾きとおすことができる、という状態でも、「弾ける」と言えなくはありません。

しかし、このような状態では、例えばツェルニーの30番の1番という曲を楽譜の最初から最後までなぞることができた、つまり「弾けた」ということはできても、何かが身に付いたということは言えないのではないかと思います。

ツェルニーに限らず、ハノンなど指の練習曲集の目的は「演奏技術の習得」ですが、指示されている音以外の音を出さずに最後まで弾きとおすことが1回か2回できたというだけでは、その練習曲で目的となっている技術が習得できたとは言えないのではないでしょうか。

習得できたかどうかを判断する目安としては、1ヶ月くらい、その練習曲を全く弾かないでおいて、その後、練習も何もせずにいきなり弾いてみます。

この時、暗譜である必要は全くありませんし、多少のミスタッチは問題ありませんが、全く弾けないとか、1ヶ月前に弾いていた速さでは弾けないというようなことが起こるようですと、残念ながら、その練習曲で目的となっている技術が習得できていなかった、ということが考えられます。

演奏技術を練習曲を使って習得する場合には、その練習曲で目的となっている技術を習得するということをあらかじめ念頭において練習し、目的となっている技術を習得することができて、初めて「弾ける」と言うことができるのではないか、というのが私の考えです。

このようにして習得された技術を積み重ねていった先に、難しい曲を弾きこなすことができるという状態があるのではないかと思います。

ところが、私の知っている日本のピアノ教育、私が受けてきたピアノ教育では、「曲や本が進む」ということが、そのまま「演奏技術を習得した」ということに置き換えて考えられていました。

この場合、指示されている音以外の音を出さずに最後まで弾きとおすことが1回か2回できた、というところまでで次に進んでしまったとしても「演奏技術を習得した」ということになってしまいます。

実際には習得できていなかったとしても、習得できたことにして次に進んでしまいますから、最終的に本を一冊終えても、本を一冊終えたという達成感以外には、何も残らないということが起こります。

このように「ツェルニーの30番、40番が弾けるようになる」というタイプの言葉で注意したいのは、これらに関して「弾ける」というのは、演奏技術を習得した状態を想定しているということです。

「本を終える」ということと「習得する」ということとは、必ずしもイコールではない、ということを念頭に置いておく必要があるのではないかと思います。

2点目は「かなり難しい曲が弾けるようになる」という点です。

ここで想定されている「かなり難しい曲」というのは、おそらくショパンのエチュードや、リストの超絶技巧練習曲、ラヴェルのスカルボやバラキレフのイスラメイ、最近ですとカプースチンの作品、というようなタイプのものではないかと推察しました。

ここでは、この推察に基づいて話を進めていきます。

このような鮮やかな指捌きが要求されるような曲に対して、私はかつて、、指が速く動くようになればCDの演奏のように弾けるようになるのではないか、と固く信じていました。

しかし、これらの「難曲」は、単に指が速く動くだけではCDの演奏のようにはならない、ということを思い知りました。

「難曲」の「難曲」たるゆえんは、単に指捌きが大変なだけではなく、リズムの変化、対位法的な旋律の処理、曲全体の構成など、様々な要素が複雑に絡みあい、これらを全て取りまとめて一つの形にする、というところにあるのではないかというのが、私の考えです。

これらの要素は、指のトレーニングを行っていれば、それに付随して自然と身に付いてくるというものではなく、先の演奏技術同様、対位法的な旋律の処理が可能となる演奏技術、曲全体の構成を見渡せるような視点の獲得、ということを念頭に置いて、それを練習するのに適した素材を用いて練習する必要があるのではないかと思います。

そして、ツェルニーの練習曲集では、対位法的な旋律の処理や曲全体の構成という要素に関して、練習するのに適した素材がほとんどありません。

ピアノを弾くといいますと、どうしても指のことにばかり気が行ってしまいますが、指が動くかどうか、ということはピアノを弾くという行為全体の中の、一部分に過ぎないのではないか、ということを私は思います。

そして、ツェルニーの練習曲集は、ピアノを弾くという行為全体を構成する様々な要素の中の、いくつかの部分を訓練することを目的としている、と考えることができるのではないか、ということを思います。

ピアノという楽器と直接コンタクトを取るのは指ですから、最終的に行き着く先が指の練習ということになるのは間違いないのですが、その背後には、直接目に見えるような形では表れていませんが、ピアノ演奏を構成する様々な要素があります。

ツェルニーの30番、40番が弾けるというだけでは、ピアノ演奏を構成する様々な要素全てを網羅したとは言えないのではないか、というのが私の意見です。

このように考えてみますと、「ツェルニーの30番、40番が弾けるようになると、かなり難しい曲が弾けるようになる」というのは、大変曖昧な表現で、残念ながら、この言葉に一理があるとは、私は答えられないということになります。

最後に、余計なお世話かもしれませんが、Tさんに、だいすからアドバイスです。

弾いてみたい曲がおありになるのでしたら、ツェルニーではなく、直接その曲に取り掛かってみてはいかがでしょうか。

そして、その曲の中の弾けない部分を抽出して練習していきます。

独学するのであれば、このようなやり方の方が良いのではないかと思います。

ツェルニーである程度演奏技術を習得してから曲へということになりますと、独学の場合、ツェルニーで出てきた演奏技術が曲のどの部分とどのように対応するのか、ということの判断が難しいのではないか、ということを思います。

このような対応関係がわからないままに闇雲に練習を続けるのは、地図を持たずに知らない街の中を歩き回るのと同じ状態なのではないでしょうか。

それならば、その曲の中に出てきた素材を、そのまま練習にしてしまった方がずっと効率が良いのではないかということを思います。

曲とは別に、練習としてツェルニーをお使いになるということであれば、私は30番を徹底的に習得し尽した後、50番を練習されることをおすすめいたします。

私の意見としては、40番は必要ないのではないかと思います。

ツェルニー自身、30→40→50という順序を考えて作成したものではないということは、作品番号を見れば明らかです。

30番がOp.849、50番がOp.740となっているのに対して、40番はOp.299となっています。

一般的に、作品番号は数が大きくなるほど年代が後ということになっていますので、30番と50番がそこそこ近い時期なのに対して、40番だけが随分と離れています。

また、練習曲の音楽作品としての作り込みと言いますか、音楽としておもしろいかどうか、ということに関しましても、初期の40番に対して、後期の30番や50番は遥かに興味深い内容になっているのではないか、ということを感じます。

さらに、40番では演奏不可能ではないかと思われるようなメトロノームの指示が頻繁に出てきます。

手元に資料がないため、正確なことは申し上げられませんが、30→40→50という順序は、ツェルニーが考えたものではなく、ツェルニー以降の誰か他のピアノ教師が、便宜上このように並べただけではないのか、と私は疑っております。

実際、ツェルニー自身は、30番、40番というようなタイトルは付けていません。

楽譜をご覧いただければおわかりいただけるかと思いますが、例えば30番であれば、 Etudes de Mecanisme(メカニズムの練習)というタイトルが付いています。

この、メカニズムの練習という本に入っていた練習曲の数がたまたま30曲だったので、30番などという呼び名がついたのではないか、と私は疑っております。

このように、30→40→50という順序で練習しなければならない、などという根拠はどこにもありませんので、私は40番に関しては、全く不要ではないかと考えています。

ツェルニーに関しては、とにかく非音楽的であるとか、機械的であるといった評価が多いですし、私も40番に関しましてはさもありなんといったところですが、そうは言ってもベートーヴェンの弟子、30番や50番は大変魅力的な音楽に溢れていると思います。

特に50番がおすすめです。

50番の中で私が一番大好きなのは4番目の練習曲で、これは今でも毎日1回は必ず弾きます。

ちなみに、ショパンをたくさん弾きたいという方には、ツェルニーよりもクレメンティのグラドス・アド・パルナッスムをおすすめします。

ショパン独特の弾きにくいパッセージの多くの出所はここなのではないか、と疑いたくなるくらい、そのようなパッセージがたくさん出てきます。

とっつきやすいとは決して言えない、むしろ、人を拒否しているのではないかと思えるくらいハードな本ですが、ここに出てくるパッセージを十分に練習しておきますと、ショパンを弾くのが驚くほど楽になります。

また、ツェルニーはどうも音楽的に好きになれないという方には、モシュコフスキーという手もあります。

20の小練習曲Op.91をやって、15の練習曲Op.72をやります。

以上、だいすからのアドバイスとしては

・弾いてみたい曲に直接取り掛かる

・ツェルニーコース 30→50

・モシュコフスキーコース Op.91→Op.72(→量が少ないのでクレメンティのグラドス・アド・パルナッスムを追加)

ということでした。

ピアノの独学についてのだいすの意見は、いずれ話題として取り上げたいと考えています。

※「ピアノ入門以前」は、だいすピアノ教習所講師の かとうだいすけ が2009年6月から2011年5月まで、まぐまぐにて配信したメールマガジンです。2011年5月に廃刊しました。