違う!
先生は「違う」とおっしゃるだけで、どうしたら良いのか…
このような相談を、これまでに何度か受けたことがあります。
「違う」と言っても、ここで言われている「違う」は、音が間違っているとか、リズムが間違っているとか、そういった正誤の判断が容易に下せるようなタイプのものではありません。
あなたのショパンは違う、とか、リストはそういう響きではない、というようなタイプの「違う」です。
私も「違う」とだけ言われてレッスン室を後にしたことがありましたが、結局のところ何が「違う」のかということは最後までわからないままとにかく練習が足りないと罵られ、この曲はあなたには向いていないと言われて終わってしまいました。
今から考えてみますと、この「違う」というのは、先生が理想としていたその曲のイメージと私の演奏が「違う」ということであり、その曲が私に向いているかどうかということとは関係がなかったのではないか、という気がします。
練習が足りないと罵られたことについても、落ち着いて考えてみれば、何が違うのか、そしてそれはどのようであれば違わないのか、という説明もヒントも何もなく、ただ「違う」とだけ言われて、あとは全てお前の頭で考えろというのでは、何をどう練習すれば良いのかわかりませんから、練習をしたところで何も変化が起こらないのは当然ではないかという気がします。
このように弾くようにという手本を示すとか、先生が理想と考える演奏の音源を示す、というような手がかりでもあるならば、それに近づくように練習をしていけば良いということがわかりますが、そのような手がかりも何もない状態で放り出されてしまっては、どうしようもありません。
上記の例で、「違う」という一言だけで済む場合の一つとして考えられることとしては、私が先生の芸を1から10まで全て習得しようとしている場合というものが考えられるのではないかと思います。
この場合は、それまでに習得してきた先生の芸の蓄積の中から、この曲を先生はどのように演奏されるだろうかということを想像することが可能になります。
ここまで考えてみて、上記のようなことが当時の私はわかっていなかったから罵られたのではないか、ということに気がつきました。
余談になりますが、当時の私にとっては、自分の弾きたい曲を自由に弾きこなすための演奏技術を手に入れるということが全てで、先生にピアノを習うということはそのための手段と捉えていましたが、先生が上記のようなお気持ちでレッスンを行っていたのだとしたら、お互いのコミュニケーションそのものが成立していないということになります。
なるほど、それならば罵られるのも納得がいきます。
話を本題に戻しますと、数学の公式や定理のように、絶対唯一の正しいショパンとか、絶対唯一の正しいリスト、というものが存在しているならば、「違う」の一言で済ませることも可能かもしれませんが、このようなものが存在しないことについては、正しいショパンは存在するのか?という文章で述べました。
先生の中では絶対唯一なのかもしれませんが、それが他の人にとっても絶対唯一とは限らないのではないか、というのが私の考えです。
「違う」のであれば、何がどう違うのか、そしてそれはどのようであれば違わないのかという詳細な説明なしに、先生の理想とする演奏に近づけることは大変困難ではないか、という気がします。
また、私のように芸の習得以外の何か目的があって習いに来ている人間に対して、自分が絶対唯一正しいと考えている演奏と比較して「違う」「違わない」というアドバイスは果たして的を得ているのかどうか、疑問が残ります。