ピアノを弾くということはどういうことなのか。

感情を表現することである、など、様々な答えがあると思いますが、ここでは、もう少し具体的に考えてみたいと思います。

まず、ピアノを弾く目的は何か。

これには「女にモテるため」「目立つため」といったものから「腹立たしい隣人に嫌がらせをするため」というものまで、様々な目的が考えられますが、嫌がらせはともかくとして、モテたり目立ったりするためには、ピアノで「音楽を奏でる」ということが必要になります。

音楽を奏でるというのは、音がある一定の秩序にしたがって作り出されることで、何かしらの雰囲気、感情などを感じ取ることができる状態を作り出している状況を表していると、私は理解しています。

良い雰囲気を作ったり、激しい感情を表現したりすると、モテたり目立ったりするわけです。

雰囲気を作るためにも、感情を表現するためにも、音楽を奏でる、つまり、ピアノから音をある一定の秩序にしたがって作り出すことが必要になります。

それでは、ピアノから音はどのようにして作られるのでしょうか。

ピアノは、鍵盤が下がるとハンマーが連動して動いて弦を叩きます。

この時、弦が振動し、弦の下にある響板が、弦からの振動を増幅させます。

このようにして、ピアノの音が鳴ります。

このうち、ハンマーが弦を叩くところはピアノの種類にもよりますが、視覚的には認識するのが容易ではありませんから、私たちの目には、鍵盤が下がると音が鳴るという仕組みになっているように見えます。

この仕組みによって、ピアノは鍵盤上に物が落ちただけでも音が鳴りますし、鍵盤上を猫が歩いても音が鳴ります。

人間が操作を行わないと音が生まれてこない弦楽器や管楽器とは、この部分が異なります。

ここで一つ疑問が生じます。

先に、音楽を奏でるということは、音がある一定の秩序にしたがって作り出されることだと述べましたが、それでは鍵盤上に物が落ちたり、鍵盤上を猫が歩いたりして音が鳴っている場合、これを音楽を奏でていると言うことはできるのでしょうか。

ある一定の秩序にしたがって鍵盤上に物を落とし、それによって鳴る音に一定の秩序がある場合には、音楽を奏でているということが可能かもしれませんが、たまたま物が落ちただけだったり、猫が歩いたり(音楽的な猫というのが存在するのかどうかわかりませんが、存在したとしてもそれは大変特殊な例でしょう)、子供が適当に鍵盤を叩いていたりして音が鳴った場合は、通常、音楽を奏でているとは考えないと思います。

このように考えてみますと、音楽を奏でるためには、音楽を奏でようという意識、音楽を作り出そうという意識、音楽のための音を作り出そうという意識を持って鍵盤を下げる必要があるのではないかという気がしてきます。

ピアノから音を作り出そうとする意識を持って鍵盤を下げたのかどうか、ということが、音楽を奏でる場合と鍵盤上に物が落ちて音が鳴る場合の、一番の違いではないかと思います。

以前、書名は忘れてしまったのですが、子供のピアノ教育について書かれた本の中に、いくつかの音を連続して弾いた時、その音が何かを訴えかけてくるように聴こえてくるならば、その子供は才能があるということができる、というような内容の文章を読んだ記憶があります。

これは、その子供が無意識のうちに音を作り出そうという意識を持って弾いているということなのかもしれません。

ピアノは鍵盤を下げれば音が鳴るという単純な構造の楽器ですが、このように考えてみますと、どうも鍵盤さえ下げればそれで音楽を奏でてくれるわけではないのではないかという気がしてきます。

ある雰囲気や感情を表す場合にはどのようなドを作り出せばよいのか、どのようなレを作り出せばよいのかということを考えたり感じたりして、そのような音を作り出すようにピアノに対して指示を出す、つまり指先を使ってある一定のスピードで鍵盤を下げることによって、ピアノからそのような音が作り出されてくるのではないでしょうか。

このように考えてみますと、ピアノを弾くということは「ピアノから音を作り出す作業を行うこと」と考えることができるのではないかと思います。

感情を表現するとか、他にも哲学的な回答が多数ありますが、こういった回答以前に、まずピアノを弾くということは何をどうすることなのかということを具体的に把握してからピアノに向かうことによって、無用な混乱を避けることができるのではないでしょうか。