指が弱い!
「指が弱い!」
いったい、どれだけの回数、この言葉を浴びせかけられたことか。
「基礎ができていない!」「指ができていない!」とあわせて、私の中の3大トラウマとなっています。
いずれも、解決をしようと努力を試みましたが、これらが解決の方向へ向かうまでには大変な時間と労力を費やしました。
私の頭が悪かったから、解決に時間がかかったんだと言われてしまえばそれまでですが、私以外にも、これらの言葉に苦しめられている人がいることを考えると、私の頭の問題だけではなく、これらの言葉の側にも問題があるのではないかという気になってきます。
というわけで、様々な角度から検討を試みたところ、これらの言葉に苦しめられることそのものが、実は全く意味のないことなのかもしれない、という私なりの結論にたどり着きました。
例えば「指が弱い!」について。
「指が弱い!」というのは、ピアノ演奏においては指が強いという状態が良いという前提があって、その状態に反する状態になっていることに対して注意を促す際に、主に使われる言葉のように思われます。
強い、弱いという言葉が使われるということは、何か基準があって強いとか弱いという分類が行われているということになります。
では、その基準とは一体どのようなものなのでしょうか。
私は20年以上ピアノをやっていて、音大の大学院(専攻はピアノ)を修了しましたので、ピアノ演奏に関する理論などに触れる機会は少なくはなかったように思いますが、こういう状態を指が強い、こういう状態を指が弱いと定義した普遍的な基準というものにはお目にかかったことがありません。
個々の先生の中での基準というのは存在していると思いますが、全ての先生に共通する基準というものは存在しないように思われます。
その結果、ある先生から別の先生に移ったときに、突然「指が弱い!」と言われて、前の先生からはそんなことを言われたこともなかったので、がっくりということが起こります。
ある先生の考える「指が弱い!」と別の先生が考える「指が弱い!」が必ずしも同じとは限らないのではないでしょうか。
「指が弱い!」という言葉に普遍的な定義が存在しないのであれば、この言葉には、具体的な説明が必要ということになります。
このように、「指が弱い!」という言葉は、単体では何も表してはいませんから、いくら「指が弱い!」と叫び続けても、いつまでたっても、指は強くなりません。
それどころか、この言葉には大変強い否定的表現が含まれているために、言われた側は大抵気分を害します。
少なくとも、特別な場合を除いて、このように言われてうれしい人はあまりいないのではないかと思います。
このように考えてみると、「指が弱い!」という言葉は、全くもって百害あって一利なしではないかという気がしてきます。
私は「指が弱い!」を大いに誤解し、強い音が鳴っていればそれで指は強いんだと思い込み、強い音を出すために、腕やら手首やらに力を入れてピアノを弾くようになりました。
そうすると今度は、手首が硬いとか、遠鳴りしない音だとか、さらにたくさんの問題点を指摘されるようになり、自分の中で「指が弱い!」とこれらのアドバイスとが統合されず、ますます混乱するという結果になりました。
「指が弱い!」という言葉は、使われている言葉は私たちが日常的に使用する大変平易な言葉ですが、指が強い、指が弱いというのがどのような状態を表しているのかということがわからない人にとっては、難解な専門用語と同じではないかという気がします。
指が強い、指が弱いという状態がどのような状態を表しているのかわかっているのだとしたら、少なくとも「指が弱い!」と言われた時点でそれを改善することができるはずです。
私の場合、自分では改善したつもりでも、ずっと「指が弱い!」と言われ続けたわけですが、これは、指が強い、指が弱いという状態がどのような状態を表しているのかがわかっていなかったために、そのように言われ続ける羽目に陥ったのです。
ピアノにおいてはどのような状態が指が強くて、そのような状態にするためには指のどの部分を意識し、どのように指を動かし、どのような訓練を行えば良いのかということについての具体的な説明があれば、私は誤解をしたままの状態で指を強くしようとして無駄な努力を重ねることもなかったのではないかと思います。
私の場合は、自分の中にある「弱い」というイメージ、「強い」というイメージを使って「指が弱い!」という言葉を解釈したことが誤解の原因となっていたのですが、このことに気が付くまでに大変な時間と労力を費やしてしまいました。
おかげで、占い師からは「あんた、しなくていい苦労をしてきたねえ」と言われる始末です。
このように、一見意味がありそうで、実は何の内容も伴わなず、さらには否定的感情を心の中に引き起こす、魑魅魍魎のような言葉が、ピアノの世界にはたくさん跋扈しているのではないか、という疑念を私は抱かずにはいられません。
指が弱い!」
いったい、どれだけの回数、この言葉を浴びせかけられたことか。
「基礎ができていない!」「指ができていない!」とあわせて、私の中の3大トラウマとなっています。
いずれも、解決をしようと努力を試みましたが、これらが解決の方向へ向かうまでには大変な時間と労力を費やしました。
私の頭が悪かったから、解決に時間がかかったんだと言われてしまえばそれまでですが、私以外にも、これらの言葉に苦しめられている人がいることを考えると、私の頭の問題だけではなく、これらの言葉の側にも問題があるのではないかという気になってきます。
というわけで、様々な角度から検討を試みたところ、これらの言葉に苦しめられることそのものが、実は全く意味のないことなのかもしれない、という私なりの結論にたどり着きました。
例えば「指が弱い!」について。
「指が弱い!」というのは、ピアノ演奏においては指が強いという状態が良いという前提があって、その状態に反する状態になっていることに対して注意を促す際に、主に使われる言葉のように思われます。
強い、弱いという言葉が使われるということは、何か基準があって強いとか弱いという分類が行われているということになります。
では、その基準とは一体どのようなものなのでしょうか。
私は20年以上ピアノをやっていて、音大の大学院(専攻はピアノ)を修了しましたので、ピアノ演奏に関する理論などに触れる機会は少なくはなかったように思いますが、こういう状態を指が強い、こういう状態を指が弱いと定義した普遍的な基準というものにはお目にかかったことがありません。
個々の先生の中での基準というのは存在していると思いますが、全ての先生に共通する基準というものは存在しないように思われます。
その結果、ある先生から別の先生に移ったときに、突然「指が弱い!」と言われて、前の先生からはそんなことを言われたこともなかったので、がっくりということが起こります。
ある先生の考える「指が弱い!」と別の先生が考える「指が弱い!」が必ずしも同じとは限らないのではないでしょうか。
「指が弱い!」という言葉に普遍的な定義が存在しないのであれば、この言葉には、具体的な説明が必要ということになります。
このように、「指が弱い!」という言葉は、単体では何も表してはいませんから、いくら「指が弱い!」と叫び続けても、いつまでたっても、指は強くなりません。
それどころか、この言葉には大変強い否定的表現が含まれているために、言われた側は大抵気分を害します。
少なくとも、特別な場合を除いて、このように言われてうれしい人はあまりいないのではないかと思います。
このように考えてみると、「指が弱い!」という言葉は、全くもって百害あって一利なしではないかという気がしてきます。
私は「指が弱い!」を大いに誤解し、強い音が鳴っていればそれで指は強いんだと思い込み、強い音を出すために、腕やら手首やらに力を入れてピアノを弾くようになりました。
そうすると今度は、手首が硬いとか、遠鳴りしない音だとか、さらにたくさんの問題点を指摘されるようになり、自分の中で「指が弱い!」とこれらのアドバイスとが統合されず、ますます混乱するという結果になりました。
「指が弱い!」という言葉は、使われている言葉は私たちが日常的に使用する大変平易な言葉ですが、指が強い、指が弱いというのがどのような状態を表しているのかということがわからない人にとっては、難解な専門用語と同じではないかという気がします。
指が強い、指が弱いという状態がどのような状態を表しているのかわかっているのだとしたら、少なくとも「指が弱い!」と言われた時点でそれを改善することができるはずです。
私の場合、自分では改善したつもりでも、ずっと「指が弱い!」と言われ続けたわけですが、これは、指が強い、指が弱いという状態がどのような状態を表しているのかがわかっていなかったために、そのように言われ続ける羽目に陥ったのです。
ピアノにおいてはどのような状態が指が強くて、そのような状態にするためには指のどの部分を意識し、どのように指を動かし、どのような訓練を行えば良いのかということについての具体的な説明があれば、私は誤解をしたままの状態で指を強くしようとして無駄な努力を重ねることもなかったのではないかと思います。
私の場合は、自分の中にある「弱い」というイメージ、「強い」というイメージを使って「指が弱い!」という言葉を解釈したことが誤解の原因となっていたのですが、このことに気が付くまでに大変な時間と労力を費やしてしまいました。
おかげで、占い師からは「あんた、しなくていい苦労をしてきたねえ」と言われる始末です。
このように、一見意味がありそうで、実は何の内容も伴わなず、さらには否定的感情を心の中に引き起こす、魑魅魍魎のような言葉が、ピアノの世界にはたくさん跋扈しているのではないか、という疑念を私は抱かずにはいられません。