基礎ができていない!
ある先生のところでピアノを習っていて何かの事情で別の先生のところへ移動したとき、音大受験を志望して専門の先生のところへ移動したときなどに、しばしば耳にする言葉です。
先生が何度か変わったりすると、変わるたびに言われることもあります。
こうなってくると、もう、いったい基礎って何だろうという気持ちになり、夏目漱石の草枕の冒頭部分が頭に浮かんできます。
しかし、詩が生まれて、画が出来るに該当するであろう音楽をやっていてこんな気持ちになってしまっては、もう、すさんだ気持ちしか生まれず、お先真っ暗というビジョンが出来るのみです。
この「基礎ができていない!」もまた、私が占い師から「しなくていい苦労をしてきたねえ」と言われる原因となった言葉です。(参照:指が弱い!)
「指が弱い!」は指という限定された範囲内についての言葉でしたが、こちらの「基礎ができていない!」は、基礎という大変広い範囲を含むだけに、厄介さも尋常ではありません。
まず、「基礎ができていない!」という言葉を真に受け、それの解決にひたすら心血を注いだ結果から申し上げるとすれば、これもまた「指が弱い!」同様、普遍的な定義は全くありません。
まず、どこからどこまでを基礎と呼ぶのかという問題があります。
手のフォーム、指の動かし方、姿勢など、単にピアノを弾くための動作のみを基礎とするのか、そこに音階やアルペジオ、半音階や重音といった、ピアノ曲を弾くために必要な基本的技術までを含めるのかで範囲が全く違ったものになりますし、そこには、さらにピアノから発せられる音の問題(これは手のフォームや指の動かし方、姿勢などと密接に関連するものです)やソルフェージュの問題を加えることもできます。
ちなみに私は、音の問題やソルフェージュの問題こそピアノの基礎に含めるべきではないかと考えています。
私の個人的な考えはともかくとして、音階やアルペジオといったピアノ曲を弾くために必要な基本的技術までを基礎に含めるのだとするならば、「基礎ができていない!」という言葉は、何かを示唆するにはあまりにも漠然としすぎています。
それは、ピアノを弾くための動作の部分ができていないという意味なのか、音階やアルペジオの弾き込みが足りないという意味なのか、という具合に、その意味するところによって、問題の解決方法が全く違ってくるからです。
この部分を曖昧にしたままで、「練習が足りない!」などと怒鳴られてしまいますと、私のように滅茶苦茶な弾き方でハノンを毎日2時間も弾いたりして、滅茶苦茶な弾き方をさらに洗練させて、「君は一生モーツァルトが弾けない!」というありがたい予言まで頂戴するに至るのです。
私がこのようなありがたい予言を頂戴することができたのは、ピアノの基礎というものに普遍的な定義がなく、基礎のどの部分ができていないのか、それ以前にピアノの基礎とはどういうものなのかということが全くわかっていない状態で「基礎ができていない!」という言葉を念仏のように繰り返し繰り返し唱えられたからではないかという気がします。
それはお前が自分の頭で考えることだ、と言われてしまえばそれまでですが、自分の頭で考えて答えが出るのであれば、問題はとっくに解決できていたはずです。
何が問題なのかがわからなければ、解決のしようがありません。
これは私の勝手な邪推ですが、「基礎ができていない!」という言葉は、権威的かつ大変強い否定的表現を含みながらも、実際には具体的な問題提議を何一つ行ってくれないという、権威の側が権威を保持するためにはこれ以上ない最高の機能を持った言葉ではないだろうかという気がしてきます。
権威の側にとっては、その権威のもとにいる人たちが何かしらの具体的な問題を解決して成長発展してしまうと、いずれは権威の側を脅かす危険性が生まれてきます。
しかし、このような言葉を使うことで、権威のもとにいる人たちに答えの出ないどうどう巡りをさせておけば、その間は、権威の側を脅かすことはありません。
と、ここまで書いてみて思いました。
私の邪推の通りなら、私はまさに「基礎ができていない!」という言葉の機能に振り回されていただけなんだなあと。
私のような、ウソをウソと見抜けない人間には、今の世の中はあまりにも厳しい・・・