あがり症は克服できるのか?

ステージ上で演奏することを前提としてピアノを練習されている方の多くが抱える悩み、それが「あがる」ということではないでしょうか。

どうやら、世の中にはあがる人とあがらない人の2種類の人種がいるように感じます。

ですから、あがる人はどのような方策をとっても、おそらく「あがる」という現象から逃れることは難しいのではないでしょうか。

アルゲリッチがなぜあのような猛烈なスピードで演奏するかと言えば、「あがる」からだそうで、速くならいくらでも弾けるが、ゆっくりだと緊張のあまり弾けなくなるのだそうです。

内田光子さんも、若い頃に雑誌のインタビューで、ステージでは緊張し、さらには足が震えることもあり、それも計算にいれて練習をすると答えていました。

私が学生時代に師事した先生は、邦人ピアニストとして著名な方で、テクニシャンとして知られてますが、この先生もステージでは大変緊張すると言っておられました。

私の友人は、とある室内楽のコンサートでこの先生の譜めくりをお手伝いした際に、先生の指先がプルプル震えていたところを目撃したと語っておりました。

このように、毎週のようにステージに上がっている著名なピアニストであっても「あがる」ということと格闘している人はたくさんいるわけですから、自分があがる人だからと言って、悲観的になる必要は何もないと思います。

一番良くないのは「あがる」ということを「良くないこと」として否定してしまうことではないかと思います。

何という本だったか忘れましたが、人間の頭脳は肯定や否定と関係なく、その対象物をクローズアップするようにできている、という話を読んだことがあります。

この話が本当であれば「あがる」ということを肯定しようと否定しようと、対象物として「あがる」が頭に浮かんでいる以上、「あがる」からは逃れられないということになります。

むしろ、「あがる」ということを当たり前のこととして受け入れ、「あがる」ということと自然なお付き合いをしていくことが、結果としては「あがる」ということを克服するための一番の近道ではないかと思います。

人前に出るといつもあがってしまう方の場合は、「また、あがってしまった!どうしよう」と考えるのではなく、「あがってきたな。よし、いつもどおりいつもどおり」と考えることによって、「あがる」ということと自然なお付き合いができるようになっていくのではないかと思います。

そもそも、なぜこれだけ「あがる」ということが問題になるのかと言えば、「あがる」=「失敗する」と結びついているからではないでしょうか。

つまり、「あがる」ことそのものが問題なのではなく、あがった結果「失敗する」からこそ、「あがる」ということが問題になるのではないかと思います。

あがったとしても失敗しないということになれば、誰も「あがる」ということを気にはしないはずです。

だとすれば、あがったとしても成功するような練習をすることを考えた方が、「あがる」ことを克服しようとして苦労を重ねるよりも、ずっと建設的な気がします。

自宅で一人で弾いているときを日常とするならば、ステージ上での演奏はいわば「非常事態」です。

日常を想定した内容の練習では、この「非常事態」に対応ができなくなってしまうのは無理のない話であって、「非常事態」を常に想定して練習するということが、ステージ上であがってしまっても演奏が成功するということへの第一歩なのではないでしょうか。

そして、一回一回のステージでの演奏を一喜一憂で終わらせず、今回はこの部分で失敗をしたから、次回はこの部分(別の曲なら似たような箇所)を成功させるためにはどのようにすれば良いかということを考え、奏法についての試行錯誤の場とすることで、理想とするステージ上での演奏に近づいていくことができるのではないかと思います。

私は極度のあがり症なのでこれを何とかしようと、舞台袖で長時間ストレッチをしてみたり、本番直前まで長いすの上で寝転んだり、ガムをかんでみたり、ハーブティーを飲んでみたり(さすがにお酒には手を出しませんでしたが)、と無駄な努力をたくさんしましたが、最終的にわかったことは『もうこれ以上できることはない、というところまで練習をするしかないんだ』ということでした。

私の場合はそこまで練習をすると、たとえ本番であがってしまって自分の思い通りに弾けなかったとしても何の後悔もなく、ただ「この曲は今の自分の実力では難しかったんだなあ」という感想が生まれるのみで、あとは「この曲をステージ上で成功させるためには、あとどのくらいの実力が必要なのか」ということの方が気になり始めます(そして「まだこんなにやらなければいけないことがあるの~?!」と打ちひしがれます)。

しかし、「ここはもうちょっとこうできたのに」とか「ここはもう少し練習をすればこういう風になったなあ」というような、自分で練習の必要があるとわかっているにもかかわらず練習が不足している場合、ステージに出る前からあがってしまい、ステージ上では集中力も持続せず、演奏終了後には後悔の嵐が心の中を吹き荒れます。

結局のところ、自分自身に対して嘘をつくことはできないということなのではないかと思います。

ちなみに、上記のようなあがり克服法を追及した挙句、一度だけ全くあがらずに演奏をするという体験をしましたが、この時の演奏は完全なノーミスだったにも関わらず、音楽的魅力がゼロという本末転倒なものとなってしまいました。

「あがる」ということは、ステージ上で演奏を完成させるために必要な、一種のスパイスなのかもしれません。

これ以降、私は「あがる」ということに対して全くどうでもよくなってしまい、最近では寒い時期でも手袋すらしなくなってしまいました。

あがり症を克服するために四苦八苦するよりも、「あがったっていいじゃない、手が震えたっていいじゃない」というくらいの懐の深さを持つことの方が、よっぽど人生にとって有意義なのではないかという気がします。