指が動くということはどのようなことなのか?
私は過去に師事した複数の先生から、しばしば「あなたは指が動かないから」と言われてきましたが、この「指が動く」ということはどのようなことなのかということを細かく観察していった結果、おもしろい考えが浮かび上がってきました。
例えば、自分の目の前にコップが置いてあるとします。
そして、このコップを自分の右手で掴むとします。
この場合、自分の右手が自動的にコップを掴んだのでしょうか。
通常は、自分が目の前にあるコップを掴もうと考え、そのために必要な動作を行うという気持ちといいますか意思といいますか何かそのようなものが働いて、手が動いてコップを掴むという動作に至る、というプロセスになっているのではないかと考えられます。
このようなプロセスのうち、「自分が目の前にあるコップを掴もうと考え、そのために必要な動作を行うという意思が働く」という部分に関しては目で見ることはできませんので、それを行っている本人以外の人がそれを見た場合には、手が動いてコップを掴んでいるという部分のみが見えます。
また、このようなことはあまりにも当たり前なことのために、それを行っている本人も「自分が目の前にあるコップを掴もうと考え、そのために必要な動作を行うという意思が働く」という部分に気がつかない状態でそれを行ってしまっている場合が多数あるように思います。
このように考えてみますと、コップを掴むという動作は、手のみで行われているのではなく、その背後には、その手を動かしているところの脳というか頭というか心というか意識というか、何かそのようなものがあるということが考えられます(ここでは仮に意識としておきます。)。
そうであるとするならば、この意識の側が「コップを掴む」という動作を考え、それを実行しようという意思が働き、最終的に手がコップを掴むという動作が現実に行われると考えることができます。
このように考えてみますと、最初の「指が動かない」ということの原因は、指や手といった体の側にのみ求めるものではなく、それを動かしているところの意識の側についても求める必要があるのではないか、ということが考えられます。
問題の発生箇所は2箇所あるように思われます。
一つは、「指を動かす」ということを考えている意識そのもの、もう一つは、必要な動作を行うという意思が働く部分(ここではこれを意識から指に対して出される指示とします)です。
例えば、私の場合、他の文章で何度か述べましたとおり、そもそもピアノという楽器を操作するために必要な動作というものを理解していませんでしたから、意識そのものがこれから行おうとすることを考えることができていない状態だったのではないかと思います。
意識がわかっていないわけですから、指の側に指示を出せるわけがありません。
こうして、よくわからないことをよくわからないままに行おうとした結果、他の文章で述べたような苦い思いをするに至ったのではないかと思います。
次に考えられるケースは、意識そのものはこれから行おうとすることを考えることができている状態で、指の側に出している指示に問題があるというものです。
例えば、ステーキが食べたいと思ってレストランに入った場合、ステーキを注文すれば当然ステーキが出てきます。
しかし、心の中ではステーキを食べたいと思っていても、口から出てきた言葉が「オムライスをお願いします」というものだったとしたら、出てくるのは当然オムライスになります。
このように考えてみますと、心の中で思っていても、指示が的確でない場合には、心の中で思っていることとは違う結果になるということがわかります。
意識から指に対して出される指示に関しても、同様のことが起こっている可能性は十分にあるのではないかと思います。
このように考えてみますと、意識そのものはこれから行おうとすることを考えることができている状態で、指の側に対して出される指示が的確であるならば、指は動くということになります。
ということは、指が動かないからといって、やみくもにピアノにかじりついたとしても、指が動くようにはならないという可能性もあるということになります。
上記の考えでいきますと、指が動かないのは、指が動かないという現実の側に問題があるのではなく、そのような指示を出している意識の側にあるということになります。
そして、現実の側で何十時間ピアノを練習したとしても、意識の側が同じように考え、同じように指示を出すならば、指はどこまでも同じように動く、つまり動かない動きをするということになります。
このように考えてみますと、指が動くという状態にするためには、まず、意識とそこから出ている指示そのものを変える必要があるのではないかということが浮かび上がってきます。