ピアノに弾かされているみたい

複数の先生のレッスンを受けますと、同じ曲の同じ部分において、全く正反対の意見が出てきたりします。

以前、私はこのような複数の意見の板ばさみに合って、最終的にどのように弾けばよいのかということが、全くわからなくなったことがありました。

そのような状態に陥った時の演奏を、友人が「ピアノに弾かされているみたい」と評してくれたのは、誠に的を得ていたのではないかと思います。

実際、この時の私は、自分はこの曲をこのように弾く、というような明確なイメージを持たず、どのように弾けばコンクールで複数の審査員から良い点数がもらえるのか、ということだけで頭が一杯でした。

ある演奏に対する批評で、しばしば「説得力のある」という言葉が使われますが、他人の顔色ばかりをうかがっているような演奏に説得力が生まれるということは大変稀なことなのではないかと思います。

振り返ってみますと、この時期の私は、他人の評価ばかりを気にして、自分はこの曲をこのように感じるとか、この曲はこのように弾きたいというような、音楽そのものに対するイメージを完全に見失っていたように思います。

ピアノの本来のあり方から考えるならば、曲や音楽そのものに対するイメージが先にあって、それを楽器を通してどのように現実に響きとして生み出すかということを考えていくというのが順序ではないかということを私は思います。

しかし、上記の時期の私の場合、音楽そのものに対するイメージよりも、良い点数という、本来は音楽やピアノとは何も関係のないものから響きを作り出そうとしていたために、本末転倒となってしまったのではないかということを思います。

複数の先生の意見というのは、まずは自分がその曲に対する明確なイメージがあって、そのイメージを基準にして、自分なりに取捨選択を行う必要があったのではないか、ということを思います。

自分の演奏をより確信のあるものに近づけるために複数の先生の意見を聞くということであれば、何の問題もなかったのではないかと思いますが、私の場合、何も考えず、しいて言うなら複数の先生から良い点数をもらうためにはどのようにすれば良いのかという、大変よこしまな発想で複数の先生の意見を聞いたために、かえって自分の演奏に対して不信感を募らせる、つまり自信をなくすという結果になったのではないかと思います。

その結果生まれてきた演奏が「ピアノに弾かされているみたい」な演奏だったのではないかと思います。