形と原理
過去を振り返ってみますと、私がピアノのテクニック的側面について大きな悩みを抱える原因となったのは、ピアノという道具が何をする道具で、それをどのように使用するのか、という原理の部分をまるでわかっていなかったからではないか、という気がします。
ピアノを弾くという形の部分ばかりを見て、その内側にある原理に思いをはせなかったことが、私が長年に渡って抱えることになったテクニックに対するコンプレックスを生み出した原因ではなかったのか、という気がします。
例えば、手のフォームの問題。
手のフォームに関しては、卵を軽くにぎったような形にしましょうというものから、指は伸ばした状態にしましょうというものまで諸説ありますが、私は何となく見た目が伸ばして弾いているほうがカッコイイし柔らかい音が出そうという非常に曖昧な理由から、指を伸ばした状態で弾いていました。
今から考えてみれば、これが私にとっての間違いの第一歩でした。
まず、ピアノの音が出る仕組みについて考えてみますと、鍵盤を下げるとハンマーが上がって弦を打ち、振動が発生するというのが、その仕組みになります。
この時、鍵盤やハンマーの動作を観察してみると、どちらも一定の方向に動くように固定されています。
鍵盤が斜めに下がったり、ハンマーがカーブしながら弦を打つということはありませんし、これらがそのような動作をした場合、それは故障と呼ばれます。
何をどのようにしようとも、鍵盤は下がるという動き、ハンマーは上がるという動きのみを行います。
さらに、左側のペダル(ソフトペダル、シフトペダル、ウナ・コルダと私が知っているだけで3種類の呼び方があります)を踏まない限りは、ハンマーは弦に対して、常に同じ場所が当たります。
ここで私は、指先を丸めようと、指を伸ばした状態にしようと、上記の動き方そのものは変化しないということと、鍵盤にセンサーが付いていて、指先を丸めた状態と指を伸ばした状態を判断し、それによってハンマーの形が変化したり、ハンマーの弦を打つ角度が変化したりするわけではないんだなあということを思いました。
とするならば、音の変化に関してピアノの側で起こっていることというのは、鍵盤の下がるスピードが変化して、それによってハンマーが弦を打つスピードが変化するという一点のみに絞られることになります。
ここから手のフォームについて考えてみると、指先を丸めたり、指を伸ばした状態にすることで何が起こるのかと言えば、それによって鍵盤の下がるスピードが変化するということが起こり、その結果、指先を丸めたり、指を伸ばしたり状態にすることで音そのものにも変化が生まれるということが起こります。
このように考えてみますと、音に変化をつける上で本当に重要なことは、手のフォームではなく、いかにして鍵盤の下がるスピードに変化をつけることなのではないか、という気がしてきます。
私は、この部分を理解していなかったために、自分にとって弾きにくい手のフォームを頑なに守り、日本音楽コンクールの第2次予選で超絶技巧練習曲をはずしまくり(参照:私がはずしまくった理由)、強音がむなしく響き渡るだけのスカルボを弾くという大失態を演じることになったのではないかと疑っています。
指を強くする方法、関節を鍛える方法など、テクニックの問題を解決するための様々なメソッドにチャレンジをしましたが、全く結果が出なかった理由も、上記の原理を理解することなく、表面的な形ばかりを追いかけていたからなのではないかと思います。
実際、上記の仮説に従って、自分にとって弾きにくい手のフォームを守るのはやめて、自分の指の自然な動きを観察するところから始めて、自分の手にとって弾きやすい手のフォームを新しく作り、それが身に付くように徹底して訓練を行ったところ、これまで何をやっても自分にとって納得のいく結果が生まれなかったテクニック的側面の問題が、一気に解消の方向に動き出しました。
このような経験を通して私は、原理を理解せずに形ばかりを追いかけるとロクなことにならないなと思いました。
私は形から入ることそのものが悪いとは思いません。
子供に上記のような理屈を理解させるのは大変な苦労を伴うことですし、また、上記のような原理を理解したとしても、理論と実践の間には隔たりがありますから、形を習得させることによって原理を感じ取らせるほうがずっと効率が良いと思います。
しかし、形から入るということもまた、原理を理解するための一つの手段であるということを忘れてしまうと、私のような果てしないどうどう巡りにはまってしまうのではないかと思います。
原理を理解し、それを自分なりの形にした結果、ある人は指が丸まった形になり、ある人は指が伸びたような形になるのではないか、と私は思います。
また、このような手のフォームに対する様々な見解の裏側には、ピアノからどのような響きを生み出すかという大きな目的が存在していると思います。
ということは、手のフォームを守ることよりも、まずはどのような響きを理想とするのかを考え、そのような響きがピアノから生まれているのかどうかを判断する耳を持つということの方を優先させる必要があるのではないかという気がします。
ピアノを弾く目的を音楽を奏でるとした場合には、どのような手のフォームも、理想とする響きを生み出すための手段でしかありません。
ですから、手のフォームを変化させた時に、ピアノから理想とする響きが生まれているのかどうかということが判断できなければ、自分の手のフォームが良いものなのかどうかということもわからないということになります。
私は指を伸ばして弾いていましたが、よく「音が硬い!」と言われました。
どうやら、指を伸ばしただけでは、ピアノの音は柔らかくなってはくれないようです。
形が柔らかい音を生み出しているのではなく、その形に至った原理が柔らかい音を生み出していると考えると、形を追いかけるだけでは解決しない問題にも、解決の糸口が現れてくるのではないかと、私は思います。