私がはずしまくった理由

学生時代のことですが、いくつかのコンクールでリストの超絶技巧練習曲集第8番「狩」という曲を弾き、いずれのコンクールでもミスタッチだらけのボロボロの演奏になりました。

録音が残っていないのでボロボロ具合はご想像におまかせするしかないのですが、今でもときどき夢に出てくることがあって、ステージ上で「この人はピアノが弾けるのだろうか?」というくらいはずしまくりのひどい演奏を繰り広げている人を客席から眺めていて、よく見たら自分だったというような内容となっています。

日本音楽コンクールの二次予選など、「どうしてこの人が一次予選を通過したんだろう?」と聴いていた人は呆れたのではないかと思います。

そもそも、なぜこのような曲をコンクールの課題曲に選んだのかと言えば、もともと速く細かく動くような箇所が苦手で、音大入学後も先生から「君は指が動かないから」とレッスンの度に言われ続け、速く細かく動くような箇所が出てこない、もしくはなるべく少ない曲をということで探していったところ、この曲にたどり着いたわけです。

ところが、練習しても練習しても、さっぱりミスタッチが減りません。

自宅で練習しているときは、ミスタッチが少なくても、レッスン室<リハーサル<本番という具合にミスタッチはどんどんと増えていきます。

当時持っていた、ミスタッチを減らすためのアイデアは全て注ぎ込みましたが、結局、ステージ上で納得のいく演奏のできないまま、コンクールを受けることのできる年齢を過ぎてしまいました。

今、当時を振り返ってみると、なぜはずしまくりのボロボロな演奏になったのか、ということについて、いくつかの原因が明確に浮かび上がってきました。

音の出るしくみがわかっていなかった
鍵盤を動かすにあたって、どの程度の力で指のどの部分をどのように動かせば良いのかということについて、自分なりの方法論を持たずにピアノを弾いていました。方法論がありませんから、成功する時と失敗する時の差がものすごく激しい上に、なぜ成功したのか、なぜ失敗したのかということもわからず、それがわからないから成功に向かって練習するということもできない状態でした。頭、悪すぎです。

実は指がほとんど動いていなかった
1と関連しますが、自分では指を動かしているつもりで実際には手首だったり腕だったり様々なところの力をつかって強引に弾いていました。強引に弾いていますから、細かく動くような箇所が苦手になるのは当然です。大学院を出る時に、先生から「君は一生モーツァルトは弾けない」と太鼓判を押されましたが、こう言われるのも仕方がないことだと思います。

ピアノを弾くときの姿勢の問題
これも1と関連しますが、今から思えば、当時はピアノを弾くときの姿勢について何も考えていなかったように思います。当時は、鍵盤にしがみつくような格好でピアノを弾いていたように思います。ピアノに向かってお辞儀をしているような状態で、顔と鍵盤の距離がものすごく近かったように思います。このような弾き方では、視野が狭くなり鍵盤のごく狭い部分しか認識できなくなってしまう他、体の軸が安定しないために、手を動かすと同時に体も前後左右に振られてしまい、素早い跳躍などに対応することが難しくなります。

不必要な力が入りすぎ
私は「強く弾く」「しっかり弾く」「強い指」といった事柄に対して、大いなる勘違いをしていたみたいです。弾き方如何では、ピアノから強い音は鳴っているけれども、指はふにゃふにゃということが十分にあり得るのです。とにかく強い音が鳴っていれば、それに合わせて指も強くなっていくだろうと思っていたため、鍵盤を弾くにあたって必要な部分に力を入れることなく、それとは無関係な部分にばかり力を入れることばかり覚えてしまい、速く細かく動くような箇所の苦手を克服するどころか、ますます苦手な方向へと突っ走って行ったのでした。

他にも、作品の構成に関して全く注意を払っていなかったとか、無理なテンポ設定をしていたとか、8分の6拍子のリズムを感じていなかったとか、叩けばいくらでもほこりが出てきますが、「狩」に限らず、当時の私はとにかく技巧を披露するようなタイプの曲や、曲の中のそのような部分にくるとはずしまくりになるという状態で、これは速く細かく動くような箇所が苦手というよりも、ピアノを弾くための基礎が全くできていなかったと考えたほうが良いと思います。

基礎ができていないということについては、大学入学以前から自分の中で大きな課題となっていて、ずっと取り組んできた問題でしたが、モーツァルトが一生弾けないと言われるあたり、大学院を修了してもなお解決していないことがわかります。

しかし、執念だけは人一倍深いので、基礎ってなんだろうと問い詰めていくうちに、上記4点に辿り着きました。

基礎をやりましょうとなると、大抵ハノンもしくはピシュナといった本が登場し、強く・しっかりという言葉が登場してくるのですが、私の場合、ハノンや強くの前に、まず手のフォームや指の動かし方についての明確な方法論を確立するところから始めなければいけなかったようです。

スポーツジムなどで、マシンを使った筋力トレーニングをする際には、フォームに注意をして、鍛えている筋肉の部位を意識しながら行うことが効果的とされていますが、これはピアノにもそのまま当てはまると思います。

私は、フォームに注意せず、訓練している部位の意識もせず、見よう見まねで強い音だけ出していたから、ハノンをたくさん弾こうと、ピシュナを練習しようと、いつまで経っても基礎の入り口にすら立てなかったのではないかと思います。

以上を踏まえ、手のフォームや指の動かし方についての明確な方法論を確立することができれば、苦手が克服できるかもしれない、「狩」のミスを減らすことができるかもしれない、という新たな仮説に基づき、手のフォームの改変、指の動かし方の改変を徹底して行った結果が下記の演奏です。

最初のはずしまくりから丁度10年、ノーミスというわけにはいきませんでしたが、はずしまくりからは脱却できたのではないかと思います。

「18才までに指が動くようにならなければ、もう指は動くようにならない」とか「20才を過ぎたらもうテクニックは向上しない」とか、随分と色々なことを言われましたが、私の執念の深さの方が勝ったようです。